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「教える」と「問う」 コーチングに触れて気づいたこと
プロ講師による短時間のコーチング体験を行う機会があった。
経営者として社員との面談を行う立場にある私にとって、
「教える(ティーチング)」と
「問う(コーチング)」
の違いを実感する貴重な時間となった。
本稿では、ワークを通じて得た気づきや、自分の内面に起きた変化、そして今後の対話のあり方について整理しておきたい。
ティーチングとコーチングの違い
まず、ティーチングとコーチングの違いを体感するためのワークを行った。
二人一組となり、相談者とティーチャーの役割を交互に担った。
ティーチャーは、相談事に対し、自身の知識と経験をもとに「教える」立場である。
私が相談者になったとき、的確だと感じる瞬間もあったが、
「そんなことは分かっている」
と心の中で反発することもあった。
総じて、ティーチャーの話す時間は長く、相談者の話す時間は短い傾向があった。
自分がティーチャーを担ったときは、相手よりも優位に立っているような感覚があり、ある種の快感すらあった。
しかしそれは、自己満足に陥る危険性がある構造でもあると感じた。
次に、コーチングのワークでは、相談者に対して一切のアドバイスをせず、質問のみを行うという形式を取った。
自分がコーチ役になったとき、相談者が多く話すようになり、質問を重ねるごとに思考が深まっていく様子が見て取れた。
沈黙の時間も増えたが、それは決して悪いことではなく、相手が考えている証でもあった。
コーチには忍耐が求められる。自分の思惑通りには進まず、予想外のリアクションも返ってくる。
そこにこそ、対話の本質があるのかもしれないと感じた。
人は語りたい欲求を持っている
別のワークでは、相手の「人生の輝いていたとき」を語ってもらう時間が設けられた。
コーチ役の人間は、質問をしてもよいが、否定は一切禁止というルールのもと進行した。
語り手の表情は非常に明るく、饒舌になっていく様子が印象的だった。
どんな人にも、自分の中に語りたいストーリーがあり、それを聞いてもらいたいという欲求があるのだと実感した。
一見、無口な人でも、適切な入口を見つけさえすれば、言葉があふれ出すのだ。
面談でつい「教えてしまう」自分
私は月に一度、社員との個別面談を行っている。
自分の想いを言語化できる社員が相手であれば、自然と私は聞き役に回れる。
しかし、言葉にするのが得意でない社員が相手だと、ついティーチングに傾いてしまう。
「教える」ことそのものを否定するつもりはない。
だが、相手の状態や気持ちを見極めずに一方的に語りすぎると、それは受け入れられず、反発や拒否を生む可能性がある。
課題や悩みがあるときこそ、
「どう思うか?」
「どうしたいか?」
と問う姿勢を大切にすべきではないかと感じている。
経営者という立場とコーチング的対話
私は経営者である。
だからこそ、時には教え、導く責任もある。
一方で、相手の内側から言葉や行動が生まれるよう、問いを重ねるコーチング的関わりも非常に有効だと実感している。
「伝えたい」という想いと、
「引き出したい」という想いのあいだで、今はまだ葛藤がある。
しかし、コーチングという視点を持ちつづけることは、社員との関係性をより深く、信頼あるものにしてくれるだろうという手応えがある。
とかく経営者はティーチング気質が強い。
それはそうだ。自分がこれまでやってきたことの実績に対する自負があるからだ。
そもそも経営者など万能でもなんでもない。
だからこそ「コーチング」の姿勢を持たないと、社員との関係は遠のくばかりだろう。
豊アルケミー株式会社
代表取締役 桐山 宗久