ティーチングはなぜ快感なのか? | 豊アルケミー株式会社 ティーチングはなぜ快感なのか? – 豊アルケミー株式会社

News 新着情報

新着情報
社長ブログ

ティーチングはなぜ快感なのか?

先日、コーチングを学ぶ機会があり、ティーチングとの比較を体験的に行うワークに参加した。

短時間ではあったが、印象に残ったのは、コーチングには「相手を待つ力」、すなわちコーチ側に強い忍耐と傾聴の姿勢が求められる一方で、ティーチングにはある種の快感が伴うということだった。
「教える」という行為は、どこかスッキリする。
自分の知っていることを伝え、理解してもらえたときの満足感は思った以上に強い。

これは、私だけの感覚ではないはずだ。

我が家の兄弟を見ていても、兄は弟にやたらと教えたがる。
質問されてもいないのに、余分に教えたがる(笑)。
そして、一通り話し終えると満足げな顔でその場を去っていく。
兄としては、それでティーチング終了である。

親子関係においても、ティーチング的なコミュニケーションが一般的だ。
たとえば「〇〇したら、あぶないよ」といった言葉かけが典型的である。
これは、親の立場からすれば当然の行為であり、子どもの安全を思っての忠告である。
しかし、こうした教える行為が時に過剰になることもある。
私はティーチングは人が成長する上で不可欠な行為であると考えているが、その一方で「教えすぎ」には注意を払う必要があると感じている。

では、なぜティーチングには快感があるのだろうか?

■ 1. 優位性を感じられる構造

教えるという行為は、「知っている人」が「知らない人」に伝える構造である。
これは自然と、教える側に優位性をもたらす。自分が上の立場に立てるという感覚は、承認欲求を満たし、自己肯定感を高める

■ 2. 他者に影響を与えているという実感

相手の理解が深まり、行動が変わる様子を見ることで、「自分の言葉が誰かに影響を与えた」と感じる。これは人間にとって非常に強い内的報酬となる。いわば、プチ達成感である。

■ 3. 自分の理解が深まる

人に教えることで、自分自身の理解が深まるというのはよく知られた話である。頭の中で曖昧だった知識を、相手に分かるように整理するプロセスで、学びが定着し、再構築される。

■ 4. 役割を果たす満足感

兄が弟に教えたがるのは、「兄としての役割を果たしたい」という本能的な欲求もあるだろう。親であれば、親らしくあるために。先生であれば、先生らしくあるために。役割に合った言動を取ること自体が快感になることがある。

■ 5. 正しさを提示できる爽快感

教えるという行為の根底には、「自分は正しいことを知っている」という意識がある。話の主導権を握り、自信をもって伝える行為は、安心感や快感と結びつきやすい。


ティーチングにはこのように、心理的な報酬が複合的に存在している。

それゆえに、私たちはついつい教えたくなってしまう。
相手が求めていなくても、つい「教えてあげたくなる」ことがある。
そして、教え終えた自分に少し酔ってしまう。

だからこそ、ティーチングは奥が深い。

ティーチングの快感を否定する必要はない。
だがその快感の正体を理解したうえで、必要なときに、必要なだけのティーチングを届けられるようになりたい。
いやむしろ少し足りないぐらいでよいのではないだろうか?
最近、中学校の教科書の内容がやたら濃くなっているようだ。
「ゆとり」の反動かもしれないが、文科省があれもこれもと求めすぎているように感じる。
「知識として知っておいてほしい」
「この程度は理解しておいてほしい」
ちょっとしたことの積み重ねが膨大な量になる。
その結果、子供たちのキャパをオーバーし、好奇心を失わせている可能性はないだろうか。
私は教えすぎだと思う。
ティーチングの快感をコントロールしないと、受ける側はそっと心の扉を閉じるだろう。

豊アルケミー株式会社
代表取締役  桐山 宗久