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『仕組み作りは性善説か性悪説か』 揺らぎ続ける人間観の間で
■ 人間観が問われる仕組み作り
「人は善なのか、悪なのか」──これは古代から続く問いである。
孟子は「人は本来善である」と説き、荀子は「人は本来悪である」と主張した。いわゆる性善説と性悪説である。
この二つの人間観は、単なる哲学の議論にとどまらない。
組織運営や社会制度の設計、すなわち「仕組み作り」の根底に、常に影響を与えている。
■ 性善説とは何か
性善説は「人は本質的に善い心を持って生まれてくる」とする立場である。
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善い行動を伸ばすためには教育や徳育が大切
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人を信頼することで自発性や創造性が育まれる
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組織運営では自由度を高め、規制は最小限にとどめる傾向
■ 性悪説とは何か
一方、性悪説は「人は本質的に利己的で悪い心を持つ」とする立場である。
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放置すれば欲望のままに行動し、社会秩序が崩れる
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ルールや罰則によって悪を抑制する必要がある
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組織運営では監視やチェック体制が重視される
しかし現代では、単に「悪」と断じるより、性悪説を「人の弱さ」と捉える考え方もある。
人は必ずしも悪意を持つとは限らないが、欲望や恐怖、怠惰に流されやすい「弱い」存在だという見方だ。
大半の過ちは、根っからの悪意というより、誘惑に負ける弱さから生まれているのかもしれない。
■ 性悪説がもたらす安心感と息苦しさ
性悪説に立つ仕組みには、一定の安心感がある。
監視カメラや二重チェックの仕組みは、不正を抑止し、公平性を保つ効果を持つ。
特に金銭や機密情報を扱う領域では、性悪説に基づく制度設計は不可欠である。
だが、その根底には「人を疑う」という出発点がある。
行き過ぎた監視は、職場をまるで奴隷が言われたことだけをこなす世界へ変えてしまう。
自由な発想や挑戦は生まれにくくなり、組織の活力が奪われる危険がある。
■ 性善説がもたらす自由とリスク
性善説に立つ仕組みは、規制を最小限に抑え、自由な発想や行動を尊重する。
人を信じることで、主体性やイノベーションが生まれやすいのは確かだ。
しかし、全てを信頼に委ねると、弱さに起因する過ちが起こりやすい。
一部の人がルールを守らず、結果的に不公平感を助長する場合もある。
放置すれば、問題が表面化するまでに時間がかかり、被害が拡大するリスクもある。
■ 最適解は存在しない
「性善説か、性悪説か」──どちらか一方を選び切ることは不可能である。
実際、現代の組織や社会制度の多くは、その間を揺れ動いている。
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不祥事や事件が起これば、制度は性悪説寄りに振れる
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規制疲れや萎縮が進めば、自由を取り戻そうと性善説に揺り戻す
この振り子の動きこそが、現実である。
自由と規制のちょうどよい「一点」など存在せず、常に状況に応じた調整が必要なのだ。
■ 揺らぎを受け入れて進むしかない
仕組み作りにおいて大切なのは、性善説と性悪説のどちらかを信奉することではない。
重要なのは「人は善でもあり、弱くもある」という現実を直視することだ。
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絶対にしてはいけないことには性悪説に基づく強い仕組みを用意する
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しかし、人の想像力や挑戦が大切な部分は性善説に立ち、自由を尊重する
そのバランスは常に揺らぎ続ける。
だからこそ仕組みは固定された完成品ではなく、絶えず見直し、調整し続ける「プロセス」なのである。
最適解はない。
揺らぎを受け入れながら、人間を信じつつも弱さを補う。
それが、これからの仕組み作りの本質なのではないかと思う
豊アルケミー株式会社
代表取締役 桐山 宗久