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できることと、教えられることは違う
自分ができることと、それを人に教えることは、まったく別の能力である。
最近、私は書道教室に通っている。
子どもたちに交じって、硬筆の練習をしている。
自分で言うのも何だが、子どもよりは字を上手に書けると思う。
では、子どもに字の書き方を教えられるかというと、それはできない。
せいぜい、
「私が書いたように真似してみて」
ぐらいのことしか言えないだろう。
なぜなら、私には字を書くうえでの体系的な基本がない。
昔、習字を習っていた経験はあるが、それを人に教えるための訓練を受けたわけではない。
つまり、自分がある程度できることと、それを他人にわかるように伝えることは別物なのである。
上手な人が、教えるのもうまいとは限らない
友人にゴルフが上手な人がいる。
その人は確かに上手い。
では、その人が他人にゴルフをうまく教えられるかというと、それもまた別の話である。
ゴルフにはレッスンプロがいる。
インストラクターという専門職が存在する。
これはつまり、プレーする能力と教える能力が違うからである。
自分がいかにうまくできたとしても、それを他人に伝える術を持っていなければ、人に教えることはできない。
教えるには、相手を見る力がいる
人に教えるには、まず相手をよく見なければならない。
その人が何につまずいているのか。
どこまでは理解しているのか。
どこから先が見えていないのか。
初心者は、その分野の全体像がまだ見えていない。
自分が今どの段階にいるのかもわからない。
だからこそ、教える側は相手の現在位置を把握する必要がある。
これは、自分ができるだけでは身につかない力である。
正しい説明だけでは、人は育たない
教えるうえでは、伝え方も非常に大事である。
いくら正しいことを言っていても、相手がやる気をなくしたり、自信を失ったりしてしまえば、成長にはつながらない。
「なぜこんなことができないのか」
という気持ちが出てしまうと、教える側の言葉は相手に届きにくくなる。
特に、自分が自然にできてしまった人ほど、できない人の感覚がわからないことがある。
自分にとっては当たり前のことでも、初心者にとっては当たり前ではない。
その差を理解できるかどうかが、教えるうえでは大きい。
名プレイヤー、名監督にあらず
「名プレイヤー、名監督にあらず」
という言葉がある。
これは、プレイヤーとして優秀だった人が、必ずしも指導者として優秀とは限らない、という意味である。
むしろ、優秀なプレイヤーだった人ほど、教えることに苦労する場合もあるのではないか。
自分はできた。
だから、できない人の感覚がわからない。
努力している途中の人を待てない。
成長の途中にある人に対して、適切な言葉をかけられない。
そういうこともあるのだと思う。
やったことがなくても、教えられる人はいる
一方で、自分がもともと経験していない分野でも、指導者として成果を出す人がいる。
学校の先生で、自分がやったことのない部活動を受け持った人の話を聞いたことがある。
その先生は、自分が経験者ではないからこそ、まず自分で学んだ。
実際にやってみた。
上手に教えている人から学んだ。
そして、徹底的に研究し、実践した。
その結果、大きな成果を上げたという。
これはとても示唆的である。
教えるということは、単に自分の経験を伝えることではない。
相手を見て、学び方を考え、成長を支えることなのだ。
教える力は、別の専門能力である
自分の能力やスキルが高いことは、教えるうえで一定の意味はある。
しかし、それだけでは足りない。
教える力とは、相手を観察する力であり、分析する力であり、言葉にする力であり、相手の成長を待つ力でもある。
自分ができること。
人に教えられること。
この二つは似ているようで、まったく違う。
だからこそ、教える立場に立つときには、自分の能力を誇るのではなく、相手の現在地を見ることから始めなければならない。
人を育てるというのは、自分の正しさを示すことではない。
相手の中に、できるようになる道筋をつくることなのだ。
豊アルケミー株式会社
代表取締役 桐山 宗久