News 新着情報
三人のレンガ職人を、別の角度から考える
前回、三人のレンガ積み職人の話をした。
一般的には
「後世に残る大聖堂を造っている」
と答えた三人目の職人が、大きなビジョンを持つ優れた人物として語られることが多い。
一方で、「レンガを積んでいる」と答えた職人や、
「家族を養うために働いている」と答えた職人は、
目の前のことしか見えておらず、まるでビジョンを持っていないように捉えられがちである。
しかし、本当にそうなのだろうか。
家族を養うことも立派なビジョン
家族に今よりも良い生活をさせてやりたいという思いも、立派なビジョンである。
昨日よりもきれいにレンガを積みたい。
より強く、よりまっすぐな壁を造りたい。
職人として自分の腕を高めたい。
そうした思いもまた、十分に価値のあるビジョンではないだろうか。
大聖堂を造るという話は、確かに壮大で分かりやすい。
多くの人を動かす力もあるだろう。
しかし、「なぜ大聖堂を造るのか」という問いが抜け落ちてしまえば、その言葉は空虚なものになるかもしれない。
「後世のため」という目的も、一見すると素晴らしく聞こえる。
だが、それを優先するあまり、目の前の家族や仲間を苦しめているとしたら、本当に正しいと言い切れるだろうか。
どの職人が正しいかという話ではない
ここで言いたいのは、どの職人の考えが正しく、どの職人が間違っているということではない。
人によって、心が動くビジョンの大きさや距離は異なるということである。
大聖堂を造るという壮大な目的には心が動かなくても、レンガの壁を昨日よりもまっすぐに積むことには、やりがいを感じる人がいる。
遠い未来の社会を良くしたいと考える人もいれば、まずは目の前の家族を幸せにしたいと考える人もいる。
どちらが上で、どちらが下ということではない。
それぞれが持つ価値観や使命感、得意な役割が違うのである。
異なるビジョンが一つの仕事をつくる
組織においても、壮大な未来を描く人だけでは、実際に物事を完成させることはできない。
大聖堂の完成を夢見る人がいて、その設計を考える人がいて、一つひとつのレンガを正確に積み上げる人がいる。
さらに、家族を守るために誠実に働く人がいる。
そうした異なる思いを持つ人たちが、それぞれの役割を果たすことで、初めて大きな仕事が成し遂げられる。
大きなビジョンだけを掲げればよいわけではない。
小さなビジョンだけでも、向かう先を見失うことがある。
大きなビジョンと小さなビジョン。
その両方がそろうことで、理念は現実の仕事へとつながっていくのではないだろうか。
ウロボロスの蛇が示すもの
ここで思い浮かぶのが、ウロボロスの蛇である。
自らの尾をくわえ、始まりと終わりがつながった円を描く蛇の姿は、相反するように見えるものが、実は一つにつながっていることの象徴として語られる。
広大な宇宙を研究することと、素粒子や原子といった極めて小さな世界を研究することも、反対の方向を向いているようでいて、突き詰めていけば同じ世界の成り立ちに行き着く。
レンガ積み職人のビジョンも、これに似ているのかもしれない。
後世に残る大聖堂を造るという大きなビジョンと、目の前のレンガを一つでも美しく積むという小さなビジョン。
一見するとまったく異なるようだが、どちらか一方だけでは、大聖堂は完成しない。
遠くを見ることと、足元を見ること
遠くを見ることと、足元を見ること。
未来を思い描くことと、今日の仕事を丁寧に行うこと。
それらは対立するものではなく、一つの輪としてつながっている。
大きなことを語れる人だけが、ビジョンを持っているのではない。
目の前の仕事をより良くしたいという思いも、家族を幸せにしたいという願いも、その人を前に進ませる立派なビジョンである。
ビジョンの大きさを比べるのではなく、それぞれのビジョンがどのようにつながり、支え合うのかを考える。
その視点を持つことで、三人のレンガ積み職人の話は、また違ったものに見えてくるのではないだろうか。
豊アルケミー株式会社
代表取締役 桐山 宗久